大川隆法総裁急逝「今からでも間に合う!幸福の科学入門」(前編)【もっちりーま】
宗教二世問題から考えるべきこととは(前編)
■2-2. 震災時の学園の対応
支部巡錫や年に2回ある大講演会、高校の入学式、学期末、卒業式など多くの機会で総裁に会いしましたが、一番印象に残っているのは、東日本大震災後の講義(教団内ではご法話と言います)です。
地震は高校1年生最後の期末試験が終わった日に起きました。私は部活の最中に地震を感じて、すぐに周りの人と外に避難しました。「エル・カンターレに守られているから震度10でも大丈夫!」と仁王立ちして天井を支えようとした先生もいましたが、ほとんどの教員や職員は冷静に避難指示や安全確認をしていました。外は揺れのせいで花粉が舞い、空が黄色かったのを覚えています。
夜に食堂で蝋燭を点けてお祈りをしたり、プールの水を運んでトイレを流したり、普段と違う生活を数日過ごしましたが、結局私たちはバスに乗って東京正心館(五反田にある幸福の科学の宗教施設)に避難し、高校一年生は春休み中に行われた、アメリカでの語学研修までそこで過ごしました。
総裁(大川隆法氏)はその期間に一度、私たちの元を訪れて講演をしました。テーマは英語の講義でしたが、「避難させるつもりなかったのに東京に来ちゃったから、(勉強や海外研修から)逃がさないぞ、と話しに来たんです」という話から始まりました。
そこで私も、「教団も一枚岩ではないのだ」と理解しました。東京に避難する前から、学園には「総裁先生は放射能の影響はないと言っているからそれを信じるべきだ」と主張する人と、「総裁先生は学園生を避難させる準備をしている」と言い張って荷造りを始める人がいました。
結局私たちは避難したわけですが、総裁は「避難させるつもりはなかった」らしいので、「避難させる準備をしている」派だった人は幸福の科学では間違いだったということになります。そして二つの意見の対立は生徒たちの中で勝手に起きていたわけではなく、実は生徒の親同士、つまり職員内の対立だったのではないかと思います。
海外研修と春休みが終わって2年生になってからも、避難前後のギスギスした空気は一部のグループで続いていました。そして学園を退学する人、還俗した(幸福の科学の職員を辞めること)人が出てきました。『現代の法難 ①〜④』が出版され、その中で「元妻きょうこ氏の過去世が女神ではなくユダであった」こと、宇宙人にも「悪質レプタリアン」と「信仰レプタリアン」がいること、マスコミがいかに唯物論に染まっているか、などが説かれました。つまり教団運営の体制と社会に対する姿勢がガラッと変わり、それに正当性を与えるために新しい言説が必要になったのです。
■2-3. 学園卒業式でのメッセージ
学園在学中も、大学進学後も何度もご法話を拝聴しましたが、やはり忘れられないのは卒業式です。卒業式で先生(隆法氏)は、大学生活の4年間で千冊以上本を読むことと、良友を作ることを私たちに勧めました。学園を卒業したらもう人生の師は本だと。5回以上読める愛読書を作り、勉強を続けること。自分が好きなことや得意な領域の中で「我はそれなり」と極めることが「神の求めるたった1人」になることだと。そして最後にこう言いました。「両親と先生方にありがとうの気持ちを伝えること」と。
自分が作った宗教学校の初めての卒業生に「本を読め」と「友達を作れ」とは、なんと「まとも」な講義でしょうか。世間では「霊言」や「祈願」というわかりやすくカルトっぽい部分だけが知られているので、「なぜこんなものを信じてしまうんだろう」と思われていますが、実際には「人を愛しましょう」、「勉強しましょう」、「その探究と実践ができているか反省しましょう」、「この世的にもあの世的にも発展していきましょう」という、霊的世界観を導入した自己啓発、「人事を尽くして天命を待つ」がメインの教義なのです。